9月12日礼拝説教のあらまし
使徒言行録9:31~43 「ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下 って行った。」(9:32)
エルサレム教会に対する迫害が少し落ち着いてきました。そこでペトロ は、各地に散っていった信徒たちの様子を見にいくことにしました。エル サレムを離れて、教会生活ができなくなってしまった信徒たちのことが気 がかりだったからです。
しかし、行ってみてペトロは驚きました。リダで もヤッファでも、信徒たちが集まって礼拝を守り、伝道までしていたから です。そこには明らかに、イエス様を中心とした「教会」がありました。 当時のユダヤ教では、礼拝はエルサレムで守らなければならないとされ ていました。当然ペトロも、教会はエルサレムにあるものだと思っていま した。しかし今、エルサレムでない場所に、現に教会があるのです。
ペト ロは、教会とは何なのかと考えました。そして、目に見えている教会を超 えた、「イエス様の体」とされる「見えざる教会」の存在が見えてきました。 聖書はこの「見えざる教会」を「イエス様を頭とする一人の人」とも言 っています。私たちはこの壮大な「一人の人」の一部とされています。で すから、私たちの人生はこの「壮大な一人の人」の人生の中で定められ、 必要とされているのです。
自分の人生は、自分だけを見ていても分かりま
せん。すべては「見えざる教会」の視点から見てみなければ分からない。
そのことが、ペトロにも見えてきたのです。
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