3月27日説教のあらまし
マタイによる福音書 20:1~16
「友よ、あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。…わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」(20:13~14)
主イエスの譬話は宗教的、哲学的な高尚な事柄を用いず、私たちの日常の卑近な出来事が多く用いられる。「ぶどう園の労働者」は雇主と労働者との賃金をめぐるトラブルという最も世俗的な事柄が用いられ、神の国の愛の消息が語られている。
神はご自分の創造されたぶどう園に働き人を招くため、早朝より夕方まで何度も足を運ぶ。ひとりでも不安と悲しみの人生を過すことがないよう、温かい心で人を招かれる。人間はこの神の愛に応えてぶどう園で働き生活する。ここに聖書の告げる人生の喜びと意義があります。
ぶどう園やデナリオンが天の国でなく、これらを用いて行われる雇主の心の在り方が神の国であります。
ユダヤでは夕方6時が一日の終わりであり、始まりの時刻であります。夕方5時より働いた人から支払われ1デナリオンであった。それを見た早朝より働いた人は約束の1デナリオンよりも多くもらえると胸算用し心はずませたが、約束通りの1デナリオンであった。この人は同じ評価、同じ扱いを受けたと思ったとき、朝より仕事を得た喜びや感謝、平安の心は一挙に雇主への不平不満、批判に変化した。
雇主は言います。最後の人にもあなたと同じように愛し取り扱ってやりたいのだ。神の愛は平等であり能力やどれだけ仕事をしたか、労苦を忍んだかによって相違が生じるものではない。神の招きを得てぶどう園で働く人生自体が喜びであり感謝であり恩恵であります。
◎この日の説教は、隠退牧師の三谷保先生でした。神様のなさることは、私たちの感覚からすると理解しがたいことがあります。そんな時こそしっかりと、神さまが私たちに何をしてくださっているのか、落ち着いて考える必要がありそうです。
◎このコーナーを読んでくださって、ありがとうございました。残念なのですが、4月からは、説教のあらましは、お休みします。ホームページは継続しますので、アクセスしてくださいね!
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◎ではまたお会いしましょう。シャローム。(あなたに主の平安がありますように。)(あい)
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