2月27日説教のあらまし
使徒言行録 13:14~43
「 あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」(13:38~39)
パウロとバルナバがピシディア州アンティオキアの会堂に行くと、そこにはユダヤ人たちに交じって「神を畏れる人たち」がいました。彼らは異邦人でありながら神様を信じ、安息日には会堂で礼拝を守っていた人たちです。
しかし、考えてみるとこれは不思議なことです。ユダヤ人の会堂で朗読されるのは旧約聖書です。旧約聖書には、「異邦人は滅ぼされる」と書かれています。なぜそのような神様を異邦人が信じていたのでしょうか。 私は、おそらく彼らは、終わりの時に神様のもとからメシアが来て、栄光に輝くダビデの王国を建ててくれる、という教えに希望を抱いていたのだろうと思います。
この頃彼らは、ユダヤ人も異邦人も関係なく、皆ローマ帝国に支配されていました。彼らは皆、「自分の国」がなかったのです。「自分の国」がないということは、どこへ行っても「ここにいてはいけない人」として扱われるということです。そんな毎日を送っていた彼らは、ユダヤ人も異邦人も、来るべきメシアの王国に希望を見出していました。
そんな彼らに、パウロは「あなたたちに栄光の王国を与えて下さるのはダビデではない。イエス様である。ユダヤ人であろうが異邦人であろうが、神様はあなたたちがイエス様と一緒にご自分のもとへ帰ってくるのを待っておられるのだ」と告げ知らせたのです。
◎「自分の居場所がある」ということは、ふだんは気が付かないけど、とても感謝なことです。私たちは洗礼を受けて、神様のところが居場所なのに、たびたびそれを忘れてさまよってしまいます。でも神様はいつも、私たちを待っておられる。すばらしいことです。(あい)
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