11月28日説教のあらまし
ルカによる福音書 2:22~38
「 この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、 聖霊が彼にとどまっていた。」(2:25)
今日からアドベントに入りました。日本語では待降節、主のご降誕を待ち望む時です。「待つ」ことはキリスト者にとって本質的なことです。実は アドベントには、「主のご降誕を待つとき」ということの他に、もうひとつ意味があります。
それは、「私たちは今、主の再臨を待っているのだということを再確認する」ということです。私たちは「主を待っている」のです。
今日の聖書箇所には、シメオンとアンナという二人の人が出てきました。 約束されたメシアを待ち望んでいた彼らは、赤ちゃんのイエス様を見てす ぐに「この人だ」と分かりました。不思議なことです。 彼らは二人とも、高齢であったと思われます。彼らの人生は、ひたすら メシアを待ち続ける人生でした。
しかしそれは、決して空しい人生ではあ りません。「その日を待つ」ということは、「今日を、神に答えて精一杯に 生きる」ということだからです。「今日をどう生きるか」が「明日をどう生 きるか」につながり、延いては「終わりの日をどう迎えるか」につながっ ていきます。
一日一日を、日ごろから神に答えて生きていなければ、終わ りの時に突然主が来られても、いきなりそれに答えることはできません。
シメオンとアンナは人生の日々を、常に神に答えて生きてきました。だから、突然目の前に現れたイエス様を見て、「この方だ」と分かったのです。
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