11月21日説教のあらまし
使徒言行録 11:27~12:5、コヘレトの言葉 8:9~14
「神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり、/悪人は神を畏れないか ら、・・・決して幸福にはなれない。」(コヘレト8:12~13)
アンティオキア教会の成長の一方で、エルサレム教会は難しい状況にありました。まず、ユダヤ人たちからの迫害がありました。また、教会の中には、イエス様の救いに与るためには割礼を受けてユダヤ人にならなければならないと考える人がいて、なかなかみんながひとつになれないという問題もありました。
そこへ、ユダヤ地方全土に亘って飢饉が起こりました。 貧しい人や弱い人が多かったエルサレム教会にとって、飢饉は痛手だったはずです。それでも何とか、みんなで心をひとつにして耐え忍んでいたの ですが、さらに追い打ちをかけるように、ヘロデ王によってヨハネの兄弟ヤコブが殺され、ペトロまで逮捕されてしまいました。
このような不条理の現実に襲われたとき、エルサレム教会は祈りました。 どのような祈りを祈ったのか、具体的なことは分かりません。しかし私は、 このとき彼らは「沈黙の祈り」を祈っていたのではないかと思います。
私たちは神様に、様々な言葉で祈ります。しかし、あまりにも大きな現実の力に打ちのめされるとき、祈る言葉は出なくなります。そのとき私たちを支配するのは、「主よ、どうぞあなたが思うままに為してください」と御前に沈黙する思いです。これこそが真の祈りです。
自らの無力さにうなだれ、神様にすべてを委ねるところから、真の祈りは始まるのです。
0コメント